ゲームが教えてくれたこと 「0→1」と「1→Any」
こんにちは。いつもは精神論的な内容の記事が多いのですが今回はクリエイティブで合理的な内容を目指します。
皆さんはパクりと聞いて何を思い出しますか?泥棒するというざっくりとした意味でしょうが、実際に物を盗む時にも使われるし、やり方や考え方的なものにまで幅広く使われてる言葉のような気がします。
今回はこのパクりについて警鐘を鳴らします。
ゲームの世界では度々パクったパクってないが話題になります。ちなみにこれは個人間のソフト等のパクりのやり取りではなくてゲームのルールやアイデア、システムを別のゲームがパクってるといった内容の時が多いです。
大事なのは最終数値
本題です。僕はパクったパクられたの話題は本当にどうでもいいです。大事なのは最終数値がどうなったか。だと思ってます。
初代であるパクられ元が0から1を作った。これはとても偉大で大変な偉業です。1を100にするよりも0から1の方が確実に難しい。クリエイティブな仕事の人はよく分かると思います。これを0 to 1と呼ぶ事とします。
僕も前職で売り場を作るときにすでに出来上がってる棚を整理して商品を置くより、なんにもない棚に0から商品を置く方がはるかに難しかった記憶があります。
0 to 1は偉大です。しかし1で止まってはいませんか?という話
次にパクった側。アイデアの大枠は0 to 1が作ってくれたので後は1をいかに増やすかを考えるだけ。これを1 to anyと呼ぶこととします。
0 to 1から良いところだけを抽出して、0 to 1の良くなかった部分を直し、さらに新しい要素を加える。そして1を10にし、100にし、1000にして行く。こうして出来上がったパクり作品の最終数値はパクられ元より高くなるスピードが早いです。それに0 to 1のベースが面白いと思っていても、細部に不満な部分があって評価を下げていたユーザーを味方にできます。
ことゲームに関しては面白ければ面白い方がいいので、最終数値が高い方が正義です。高い方が売れるのは当然であり、高い方が支持されます。
最近のゲームでのパクりパクられ事情から紐解きます
最近のパクりパクられ戦争で有名なのはバトルロイヤルゲームで有名なPUBGを運営するPUBG corp.が同じくバトロワゲーで無料のスマホゲームの荒野行動を運営するNetEase社を、パクっただろ!と言って訴えて、物議を醸したのがゲーマー界隈ではご存知の方が多いと思います。荒野行動はTwitterやYouTubeでの広告でご存知の方もいるかと。
ここでは、PUBGは0 to 1。荒野行動を1 to anyとして考えます。(なんか似たようなバトロワゲーがPUBGの前にあった気がしますが、大事なのはそこじゃないので割愛)
両者の最大の違いはユーザーの層ではないでしょうか。PUBGは有料、PCとXBOXのみ。荒野行動は無料で、スマホとPCで遊べます。ユーザー層はPUBGはコアユーザーが多く、荒野行動は若いスマホ世代を中心に多いイメージ。高校生や大学生が学校の休み時間にやってるらしいので凄いと思います。僕が学生の時にそんなゲームがあったら確実にやっていたと思います。
もちろんPUBGは0から1を作ったぞ!凄いだろ!と慢心してるわけでは無くユーザーが離れないようアップデートを重ねて、1を2に、2を3に増やしていきました。1の頃は知りませんが30くらいには育っていたゲームのようには感じます。
荒野行動はすでにPUBGが作ってくれた1をベースに売り方を変えたりしていきなり50の状態でリリースしました。なんなら無料でスマホで遊べるんならもう60くらいにはなっていたかもしれません。
そりゃ手塩にかけて調整し、ユーザーの心を掴んできたPUBGが怒る気持ちはよくわかります。
でも大事なのは最終数値がどうだったか?という話。
ゲームの価値を図る指標としては売り上げやユーザー数等色々あると思いますが、PUBGは確実に荒野行動に負けていたと思います。数値は正直で残酷です。
0 to 1のPUBGは、1 to anyの荒野行動にリードされてしまったのです。
ちなみにPUBGはレアアイテムをユーザー間で売買ができるためそこに目を付けた悪徳業者がチートを使ってゲーム内通貨を荒稼ぎする事案が横行し、それに対す処置が遅かったため多くのユーザーが離れて行っていたのも追い風になりました。
ちなみに現在のバトロワゲーの王はFortniteでしょう。カジュアルな見た目、安置運を覆す建築要素、頻度の高いアップデートとガチャではない課金要素。現代のゲームのストレスを解消した良作といえます。バトロワゲーの数値でいったら100くらいは余裕であります。
コンテンツの盛り上げにはパクりは必須
ちなみにこの一件で荒野行動の攻略サイトさんはtwitterでこんなことを言っています。
ツッコミどころはあるものの、僕はこれあながち間違ってないと思うんですよね。
ベースは同じだけど向いてるところは違うということ。図にしました。
適当ですいません。要するに方向性の違いです。
みんな違ってみんないいのです。
ちなみに僕は日本で確実に売れるバトロワゲーをすでに思いついています。二次元美少女のバトロワゲーです。武器は実銃でもいいでしょうし魔法を使ったり、剣を使ったりしてもいいでしょう。カジュアルなかわいい女の子を自分好みにカスタマイズできてしかも楽しいバトロワができる。バトロワ要素をどう切るかだけが課題だと思いますがとても売れると思います。「きららロワイヤル」いかがですか?芳文社さん。
あとは寛容さですよね。不思議なんですがなんでみんなパクられると怒るんでしょう?もし僕が考えたアイデアを誰かがパクったとしたら、それはとても嬉しい事です。自分のアイデアを誰かが認めてくれて、さらに発展させてくれたわけですから。誇らしい気持ちになります。そして僕が考えた僕の大好きなベースアイデアをいろんな人が知ってくれるのは最高な事ですよね?
そしてコンテンツが盛り上がればそれはみんながハッピーということ。発展してるコンテンツほど、0 to 1が1 to anyを認め、1 to anyが0 to 1をリスペクトしています。しかもそれを公言しています。音楽とかラーメンとかがそうですよね。
だからパクるべきなんです。1 to anyから初めるべきなんです。
あまりにも0 to 1を作ろうとしすぎてクソつまんないアイデアのゲームが多いです。
僕が面白いと思うのはいつもどこかからパクった!と言われてるゲームです。
積極的にパクって面白いゲーム作ってください。〇〇のつまらない所だけ面白くしました!でいいんです。クリエイターの方にはもっとゲームをプレイしていただきたいです。
まとめ
まとめます。
- 0 to 1でも1 to anyでも、最終的に大きい数にできた物が勝者
- 方向性の違いを認め合おう
- 良い物を模倣し、新しい良い物を作ろう
これが言いたかったことです。
あまりにもパクったパクられただの次元の低い話をしてる心の貧しいユーザーとクリエイターが多いので頼むよ~という思いで書きました。
心からゲームを楽しんでるプレイヤーはそんなことどうでもいいのです。面白ければやるし、面白くなければやらないのです。
権利やプライドを主張するあまり新しい良い物が生まれなくなるのは多くのコンテンツが何回も通ってきた道です。それも王道ではなく邪道。金にまみれた創作の末路です。
ゲームがそうならないことを祈ります。
余談です
大型中古店に売ってるスーファミとかのソフトにはよく裏面にマジックでデカデカと「や ま だ た け し」みたいな感じで書いてあるのを見かけます。いいですよね〜。あれ探すの好きなんですよね。味があるというか粋というか。なんとも表現しづらい良さがあります。当時のソフトはとても高級で貸し借りは当たり前、パクりも横行してて名前を書いて自分のソフトを守るのが普通な環境だったということです。僕らが子どもの時はまだカセットタイプのソフトでしたが、書いたり書かなかったりしたくらいでしたね。多分ゲーム機の普及とソフトの値段が安くなったから名前を書かなくても良くなったのかなとは思います。あとソフトのデジタル化。今の子どもたちには到底わからないでしょうね。平和と粋の等価交換ですね。
ここまで読んでくれてありがとうございます。もう一つ読んでみませんか?