お花について思うこと
こんにちは。僕の好きな季節は春です。寒いのが苦手なので相対的に春のランクが上がってるだけです。
すっかり春らしくなって道には色とりどりのお花が咲き乱れています。
これは僕の住んでるアパートに咲いてる花です。ちっこい丸っこいのパンジー言うんすかね。これ好きですね。チンパンジーみたいで。
今回はそんな春の代名詞「お花」について思ってる事を書きます。
はじめに
皆さんはお花と聞くと何を思い出しますか?
僕は祖母を思い出します。祖母は花が好きで僕が小学校から帰るとよく庭にいてバラを中心にいろんなお花を育てていたのを思い出します。
そのころは本当にお花に興味が無くていろいろお花ウンチクを教えてくれるのですがほとんど覚えていません。バラにトゲがあるくらいしか覚えてません。
僕みたいにお花と聞くと祖母や母、女性について思い出す人も多いでしょう。女性をお花と例えるすてきな言葉もたぶんこの世にはいっぱいあります。
今回お花について書こうと思った理由はNHKでやってる「グレーテルのかまど」のミモザケーキの回を見たからです。
番組によると3/8はイタリアでは女性の日、ミモザの日と呼ばれていて女性を称え男性は女性にミモザの花やミモザの花を模したレモン味のケーキを作ってあげるそうです。ローマの町がミモザの黄色一色で埋まる感じは圧巻です。この日は女性は家事をお休みし代わりに男性が女性の普段やってる事を代行します。
ちなみにこの「グレーテルのかまど」ですがまぁ面白いです。メインの瀬戸康史さんは楽しんでる雰囲気がとても好感が持てて、お菓子作りがどんどん上達してきてますし、そもそもお菓子作りをあまりしたことがないのでバターそんなにいれちゃうんだ!みたいな発見があって面白いです。偉人や著名人のお菓子にまつわるエピソードを知れるのもいいです。おすすめ。
女性はお花をもらって喜ぶの?
そんなミモザの日のイタリアを見て驚いたことがあります。それはイタリアの若い女性がお花をもらって喜んでいること。
お花ってプレゼントの選択肢としてこのAmazonでなんでも買えてしまう時代ではかなり勇気がいる選択肢だと思います。若い女性(ここでは20代~30代とします)に対しては特に。
なぜなら
- 花自体になんの利用価値がない、役に立たない
- 花瓶に移したり水をあげたり等の後のお世話がめんどくさい
- しまいには枯れてしまい手元に残らない
と思ってる若い女性は多いような気がします。僕も身の回りや職場の女性に聞いてみたことがありますが同様の意見が多かったのを覚えています。
しかしイタリアではめちゃくちゃ喜んでます。この違いはなんでしょう。文化レベルや感情のレベルに関して日本人ほど高度な人種はいないと僕は思います。そんな日本の女性にもお花を愛してほしい。そう思ったのでお花すごいぞを書いていきます。
お花には言葉にできないメッセージがある
最初のお花すごいぞはこれです。確かにお花は生活を便利にしてくれたりするものではありません。香りを使ったテラピーのようなものはあるにしても一般人が一からお花を使ってできる代物ではありません。
しかしお花にはメッセージがあるのです。しかも一人一人感じ方の違うアバウトなメッセージ性があります。
海外ではプレゼントだけでなくケンカをしてしまって謝りたい時にごめんねのかわりにお花を贈るそうです。勇気のいる言葉をお花に助けてもらう感じでしょうか。そんな時どんなお花をどういう気持ちで男性は選ぶでしょうか。
- 相手の好きな色?
- お花の花言葉?
- 相手を連想できるお花?
とかでしょうか。そういったお花たちをチョイスして花束をつくり女性に贈るそうです。これの何がすごいかって花束に乗せたメッセージ性はあくまで男性側の主観でしかないよいうことです。そもそも受け取る側が花についてなんの理解もなかったらめんどくさい草を贈られただけでむしろ悪意と受け取るかもしれません。
すごいですよね。海外ではお花を贈る文化が古くからあったとはいえその感じ方に違いがある存在をきっとこれで思いが伝わる!と信じて送る海外の男性の心意気とでもいいましょうか。これは相手がきっとわかってくれるという信頼のもと送ってるプレゼントなはずです。そう花を贈るということは
「あなたを信頼していますよ」
という友好の大前提の証明みたいなものなのです。そこにメッセージが乗るわけですからすごいプレゼントじゃないですか?
お花を世話するたび思い出すことができる
次のお花すごいぞはこれです。お花はもらって終わりではなくその後にもいろいろお花に対してしてあげなくてはならないです。
これをめんどくさいと思う人が多いと思います。確かに大変なのには違いありません。お花はナマモノなのでその辺にぽーいと置いておくわけにはいかないでしょう。普通の人間なら花瓶を用意してお水を汲みもらったお花を挿すくらいはするはずです。
食べ物とかのプレゼントだと食べちゃって終わりです。消耗品のプレゼントは使っちゃったら終わりです。もう同じものを使わない限り相手を思い出す事はないでしょう。消耗品じゃなかったとしても例えば家電とかであればそれをくれた相手の事よりもその家電がもたらしてくれる便利さを見てしまうでしょうし、服やアクセサリーなどは最初は着るたび思い出しても最終的には寝間着になるかもしれません。
お花はめんどくさいお世話をしなければいけない世にも珍しいプレゼントです。
なぜお世話をするのか、それは枯らさないためです。めんどくさい、でも枯れてほしくないと心のどこかで思っています。枯れたお花はあまりにもネガティブなイメージが強いので本意じゃないプレゼントだったとしても大切にすることができるのです。
そしてお花のお世話をするたびもらった相手の事を思い出す事になるでしょう。
今何してるのかな?どうしてこの花を選んだのかな?といったように。
短い期間で相手を思うことをしかももらった側が不本意にもしてしまうある意味での傲慢さがお花のすごいところだなと思います。
日本に女性を称える日はあるの?
お花すごいぞとは離れますが、女性にお花を贈る日、イタリアでいうミモザの日のようなものは日本にはあるのでしょうか。
僕が最初に思い付いたのは母の日ですね。でもこれはお母さんを称える日であってお母さんじゃない女性を称える日ではありません。
昨今こそ日本での女性の社会への参加や性の多様性が叫ばれていますが、土俵に女性が入れなかったりとまぁどうでもいい所で女性への差別が残っています。
生まれるとき自分で選んで女性になったならまだしも神様に勝手に決められたもので生き方を左右されるのはおかしいですよね。
でもこう言っちゃうとじゃあ称える必要もなくね?と思われちゃうかもしれませんがそれだと寂しいじゃありませんか。称える日があれば性別は神様からの悪意ではなくギフトとして受け取ることができるはずです。
それにやはり男性は仕事、女性は家事というふうな風潮を女性側が意識してる現実はあります。
だからこそ今日はいつもやってる家事をパパや子供に任せてゆっくり羽を伸ばす日、未婚者であれば彼氏にプレゼントをしてもらったり行きたい所に連れてってもらう日とか恋愛関係以外の相手でも例えばこの日は女性だけ仕事を休む日とか会社で作ったり、なにかしらアプローチをする日を作ってもいいのではないかと思います。
そこにお花が登場してさらに満足度が上がればGOOD!日本の女性はもっと元気に美しくなると思います。
まとめです
いろいろ書きましたがお花を通して僕が思うのはこんな感じです。
お花にはメッセージがあることの理解が広まればお花はプレゼントの選択肢としてかなり優秀な択になると思います。学校の道徳の時間とかに教えてみたり男女間でお花を選んで贈りあう授業があってもいいと思いますね。
そしてなによりメッセージが伝わるという相手を信頼することと相手を信じる勇気がそのプレゼントには乗ってるということを贈られる側贈る側双方で理解することが大事です。
あとはアフターケアを通して相手を思う時間が作れるツールであるということ。アフターケアをしてくれる保障はないのでそこも勇気ですが。してくれるという信頼を贈りましょう。ここは多少傲慢でもいいと思います。
そして異性を称える日を自分で作ってみてはどうでしょうか。家族、恋人、友人、同僚だれでもいいと思いますが公式な日はないのでこの日!と決めてプレゼントをしてみたりゆっくりさせてあげたりしてみてはどうでしょう。
僕も母の日にプレゼントを贈ってみようと思います。ちなみに母の日にプレゼントを贈るのは人生で初です。THE放蕩息子の僕ですが身をもって花を贈る経験がしたいので近い所で母で実験してみようとおもいます。